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Blog:大地X暮らし研究所

『リジェネレーター 土に恋する大地再生者たち』訳者によるあとがき


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  なんと寛容なものであることか、地球よ。

  私たちはあなたから元素をひきぬき、大砲や爆弾をつくるのに、

  あなたは私たちの元素から百合やばらの花を育てる。

  ーーハリール・ジブラーン「おお地球よ」(神谷美恵子訳)より


 本書の翻訳を手がけるに至る経緯は、冒頭にあるレイモンド・エップの「はじめに」に書かれているとおりだ。北海道長沼にある農場メノビレッジでレイモンド・荒谷明子夫妻が始めた、日本で最初の本格的な大リジェネラティブ地再生農業に関心をもって集まった人々の輪に、ぼくも連ならせていただいた。のちに「大地×暮らし研究所」を名乗るようになるこのグループがまず取り組んだのが、大リジェネラティブ地再生の意義をわかりやすく伝えるアメリカのドキュメンタリー映画『君の根は。』の上映運動だった。この映画の出演者の中で、ひときわ強い存在感を示していたのがニコール・マスターズだったが、この人の著書の日本語版を制作することが、大地×暮らし研究所の次のプロジェクトになったというわけだ。


 あれから2年、苦労の末、大リジェネラティブ地再生に関わる世界各地のリジェネレーターたちにとっての“バイブル”ともいわれるこの本をようやく翻訳し終えて、安堵ど感と共に、高揚感、そして、これを日本の読者に届ける役割の重さを感じている。なんといっても、これは極めて珍しい本なのだ。科学書であり、思想書であり、農牧業の実践ガイドでもある。しかも、そのそれぞれにおいて、内容は一級だ。


 科学者であるニコールは、「インテグリティ・ソイルズ」という会社を率いる一方、1年のほとんどを、土壌再生と農業のコーチ、教育者として、旅から旅へのノマドのような生き方をしている。本書の一つの楽しみは、そんな彼女の人生の道筋が、あちこちに散りばめられているエピソードをつなぎ合わせることで、ぼんやりと浮かび上がってくることだ。


 本書のおそらく最も重要なテーマは、マインドセット(思考の習慣)の転換だ。あのアインシュタインがこう言っていたという。「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、その問題を解決することはできない」。ところが私たちは、人類存続の危機を引き起こすに至ったマインドセットのままで、その危機を克服できるかのように、振る舞ってきたのではなかったか。農業や牧畜が、砂漠化から生物多様性の減少、気候変動まで、深刻な問題の要因だったことが明らかになった今、そうした営みを支えてきたマインドセットそのものの転換が求められている。


 それは要するに、自然を単なる資源や道具と見なす〝人間中心主義〟の農牧業を、その根本から見直す、ということだろう。かつて農民として、「作物を生産する」ことを自分の仕事と見なしていた著者が、土壌の健康とそこに生きる生物の繁栄を支える大リジェネラティブ地再生をこそ生きがいとする、リジェネレーターへと変身してゆく旅を、本書は描いているのだ。


 読者であるあなたは、この本で、これまで気にかけなかった草や虫やミミズや微生物の数々に出会うだろう。嫌いな生きものが出てきても、本を投げ出さないでほしい。ニコールは本気で、そこにこそ希望があるのだと、考えているのだから。そう、そしてその出会い一つひとつが、あなたに必要なマインドセットの転換の好チャンス機なのかもしれない。学者から農民、社会活動家、そして危機の時代に悩み、生き方を模索する人々まで、この本との出会いが、それぞれにとって、きっと実り多いものになると、ぼくは信じている。そう、これは農業だけの話ではない。大地の再生に人類の未来がかかっているのだ。


 改めて、この類いまれな本を生み出してくれた現代の奇才、ニコール・マスターズに心から敬意を表したい。そして、本書を日本に届けるという情熱を最後まで失わずに、スローなぼくを信じて、つき合ってくれた、レイモンドをはじめとする大地×暮らし研究所の仲間たち、特に翻訳チームとしてぼくを支えてくれた瀬尾義治、二葉眞弓、二葉晃文、荒谷明子の皆さんに感謝する。出版元であるゆっくり堂の仲間たち、中村隆市、大岩由利、伊藤直美の皆さん、本の本質を捉えたすてきな装丁に仕上げてくれた寺井晃子さん、そして、大地×暮らし研究所の運営から本書の出版に関わるコーディネート全般を手がけてくれたナマケモノ倶楽部の馬場直子さん、どうもありがとう。


2025年9月

秋を迎えたヒマラヤ、ラダックにて

辻 信一

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