昨年のことになりますが、夏にイスラエルからの旅の若者が数日間、わたしたちの家に滞在して、農作業や日々の暮らしをともにする機会がありました。
優しく、頭脳明晰なその青年にとっても、うちで過ごした数日はなにか感じとるものがあったのかもしれません。うちを出発して屋久島など全国を飛び回ったあと、祖国へ帰る前の日にもう一度うちに寄って、日本での最後のひと時を過ごしたいということでしたが、ちょうどその日になって、あのイスラエルと、パレスチナの戦いが起こりました。
彼からはメールで、「とても残念だけれど、祖国のために帰って戦う。人生には時がある。愛する時、祈る時、戦う時、殺す時」という内容のことを伝えられました。
そして、進んで戦地に赴く彼に対し、語るべき言葉の持ち合わせの不足を痛感したのでした。
そのときから、わたしのなかで何か言葉になりきらないもやもやしたものがつきまとってきます。
歴史の大きな流れの中で、強力に引きつけていかれそうになるとき、わたしたちの語りえる言葉のなんと貧弱で頼りないことか。しかし、それでもなお、わたしたちはなんとかして語る言葉を持たねばならない気がするのです。
戦争を実際に体験した世代が次々と鬼籍に入り、生々しい記憶から発せられる強いメッセージが日に日に薄まってきたいまの時代において、いまの世代が語るべき言葉はどこにあるのか。
ふと、去年収穫した豆をより分けているときに、「農のなかにこそ、その言葉はある。」と思いました。
自分の思い通りになどならない大いなる自然。
時に厳しく、そして常に寛大な自然からの恵みを頂戴する。
狩猟採集の時代から、農耕を発達させ、グローバルな都市文明を発達させてきてなお、いまだ人類は他の生きものと同様にその摂理に従って生きていることにはなんら変わりはない。
いまでは一部の農民や先住民にしか共有されなくなったこのあたりまえの事実に、科学者をはじめ再び多くの人が気付きはじめた現代において共有されうるものがたり、、、
トルストイの「イワンの馬鹿」をメノビレッジのレイさんと明子さんが貸してくださいました。
大地再生農業もまた、戦わずに農を生き続けたイワンのものがたりに通じています。
ただしそこでは、たくさんのミミズやネズミや小鳥や大型の動物から昆虫、線虫やキノコやバクテリア、森林や海や川までもが重要な登場人物(?)です。
翻って見回してみると、わたしたちが暮らすこの世界において、”敵“とはいったい何者なのでしょうか。
わたしたちが戦いを挑み、傷つけようとしているその相手は一体誰なのか。
それは紛れもなくわたしたち自身であるということを、自然は明に暗に示しています。そして近代の戦争において真っ先に傷付き死んでゆくのは常に弱い立場の人たちです。
農業においても、雑草や害虫や病原菌を抹殺せしめんとして、人類が勤勉にも行なってきたあらゆる行為が、土壌の喪失や水、土、空気の汚染や生態系の破壊というかたちでわたしたちに降りかかるとき、ようやくわたしたちは“彼ら”がわたしたち自身であり、「与える手」と「奪う手」は自然の同じひとつの手であったのだと再び気付きました。
江戸時代の秋田の町医者、安藤昌益は「互性活真」と説きました。
全ての矛盾、相反する事柄、すなわち光と闇、善と悪、浄と穢、生と死などは対(つい)となりはじめて一つである、と。
宮崎駿はナウシカの腐海、もののけ姫におけるシシ神としてそのことを見事に描きました。
イナゴが大発生すれば、農民は苦しみます。
しかしイナゴを食べる大型の動物(人間も然り)にとっては恵みであり、イナゴの死骸は土に還ります。
川が氾濫すれば、田畑は水に浸かりますが、森林の養分が氾濫原や海を豊かにします。
そしてわたしたちの先祖はそのことに備えて日々を教えのなかに暮らしていました。
近代、わたしたちは殺虫剤を振り撒き、川をコンクリートの堤防で固めることで、安心を得ると同時に、自然に対する信頼を忘れてきてしまったのではないでしょうか。
わたしたちはいま一度、かつてあたりまえだった自然観をみずからのものがたりとして取り戻そうとしています。
農がわたしたちに語りかけてくれること。
勇気とは勝つことではなく、戦わないことだということ。奪われ、傷つけられる恐怖に任せることなく、旱魃や嵐に耐える樹木のように、まわりに木陰を与えることである、と。
去年は暑さの影響で豆は前年の半分の収穫量でした。
しかしそれでも豆はしっかりと実を結び、自らの生命を翌年につなげるだけでなく、わたしたちの生命の糧となってくれます。
インド独立の父、ガンディーの非暴力、不服従の思想は今なお、強いメッセージを発しています。
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